2010年05月23日

Rosco Gordon - Let 'Em Try

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Rosco Gordon - Let 'Em Try [Vee-Jay/385] 1961
Hand Writing Matrix: VJ-385-61-1828 △38966 / VJ-385-61-1826 △38966
Machine Stamped: Bell Sound, Audio Matrix, (MR)



メンフィスのR&B・シーンを語るのに欠かせない、トリックスター的存在の重要人物『ロスコー・ゴードン』。

1928年4月10日にテネシー州メンフィスで生まれた、R&B/ブルース・シンガーでピアニスト。

40年代後半から、ジョニーエイス、B.B.キング、ボビーブランド、アールフォレストらと共に、ビールストリートを中心に活動。
彼らは“ザ・ビール・ストリーターズ”という愛称で呼ばれ、メンフィスのブルース〜R&B・シーンを大きく引率していった。

なかでも一際ヒップなR&Bミュージシャンとして、一目置かれていたのが彼、ロスコー・ゴードンだった。
1950年に当時ラジオDJだった、ルーファス・トーマスの司会によるアマチュア・タレントショーにて優勝。
同コンテストの主催は地元ラジオ局のWDIAで、彼はレギュラー番組を持つこととなった。

翌1951年WDIA局のデイヴィッド・ジェームス・マッティスの紹介で、サム・フィリップスの経営する“サン”レコードと契約。
ロサンジェルスのRPMレコードの為にレコーディングを行うこととなる。

翌52年にRPM4枚目としてリリースされた作品“ブーテッド”(RPM #344)は、R&Bチャートで1位を記録するヒットとなり、次いでリリースされた“ノー・モア・ドッギン”(RPM #350)もR&B・チャートにて2位を記録する大ヒットとなった。

同時期に、新興レーベルだった“デューク”とも契約し、55年からは“サン”とも再び契約。
この様にレーベルを転々としながらも、彼は地道な音楽活動を続けた。

次いで59年からはシカゴのヴィージェイ・レーベルと新たに契約。
移籍後すぐに出された第二弾シングルの“ジャスト・ア・リトル・ビット”(Vee-Jay #332)は、ポップ・チャート64位/R&B・チャート2位を記録するクロスオーバー・ヒットとなり、彼は再びチャート上に返り咲くこととなった。

そのヴィージェイにて61年に同レーベルでの4枚目として出されたシングルが、今回ご紹介する作品「レット・エム・トライ」だ。

ロスコー自作によるR&B バラッドで、ドゥーワップ風のコーラスが入るメロウな作品である。

この作品との出会いは、英ケント編集によるV.A盤「The Birthe Of Soul: Special Chicago Edition」の10曲目に収録されているのを聴いた時だった。
ちょうど友人のチックー(New Continental)と二人で、シカゴ〜デトロイトに買い付けに行っている時に、車内で痛烈に響いたのを思い出す。


得意とするゴリゴリのリズムものではなく、歌謡性を重視したアーリー・ソウル・バラッドだ。

元々彼はアタックの強い声質で、ジャンプ系の作品では抜群のノリを発揮していた。
この作品で聴けるボーカルには若干の不安定感があるものの、サムクック・スタイルの節回しで実直に歌い上げるパフォーマンスを披露している。
メロディアスな楽曲とは対極にある辛口ボーカルも妙にハマっており、この不調和が逆にクセになる要因として大きいのかもしれない。

そしてこの曲の一番グッとくるポイントといえば、2:10過ぎ頃からの「Let'em try! Let'em try! Let'em try!」の絶叫部分にトドメをさす。
ココのところが聴きたくて、このレコードに何度も針を落としてしまうといっても過言ではない。
しかしここで聴き手として絶頂を迎えるためには、序章ともいえる2:10以前の素朴な姿もしっかりと拝んでおく必要があるのだ。(マニアのマナー)

ちなみにこの作品、アメリカではヒットしておらず話題にもなっていないが、ジャマイカ人シンガーの“アルトン・エリス”がこの曲をロックステディーでカバーしている。
ホーン隊がメロディーを奏で、裏打ちのダンス・ビートに乗った名バージョンであるが、この曲がカバーであるという事はあまり知られていない様である。(これはあくまで愚者の私見でしかないが、前述のThe Birthe Of Soul: Special Chicago Editionのライナーにも、「スカ&レゲエ・コレクターの大くは、この事を知らない」と、記述されていることを一応お伝えしておく。)

余談ではあるが、英アイランド・レーベル代表としても知られる名人“クリス・ブラックウェル”はこう語る。
「His influence on Bluebeat, Ska and Reggae as Rosco's records eventually made their way to Jamaica.」
(彼はブルービート/スカやレゲエに影響を与え、そのうちロスコーのレコードはジャマイカ音楽の流儀を作った。)

まぁこれは極論に過ぎないし、リズム面のことを言っているのだと思うが、彼の声が持つ“歌心”も、アルトンのカバーが証言している様に、確実に伝わっていたのであろうということだ。


そしてこのヴィージェイ・レーベルではこのシングルを最後に契約を解除。

翌62年には大手ABCパラマウントと契約し、3枚のシングルをリリースするも全て不発。
その後も小レーベルを転々とし、数枚のシングルを発表しているが、目だった功績は残せていない。

70年代初頭には、ニューヨークにてドライ・クリーニング店を経営し始める。
しかしロスコー・ゴードンが営むクリーニング屋というのは、なぜだか想像するだけで凄い。

79年にハンク・デイヴィスにより再発見されて以来、彼は再び音楽シーンへ復帰することになる。
そしてメンフィスのブルース・フェスや、イギリスのイベント興業で活躍し、2002年にはTVドキュメント「The Road To Memphis」にも出演した。

そして2002年7月11日、ニューヨーク市クイーンズ区にて心臓発作が原因で死去。

音楽業界で恵まれた機会は少なくとも、彼の残した作品は、多きな影響と感動を与え続けてくれている。


Source-

Rosco Gordon - Biography
(Black Cat Rockabilly Europe)
Rosco Gordon - Single Discography
(Soulful Kinds Music)
Rosco Gordon - Biography & Music History
(UK Ace Records)

Search - Rosco Gordon to Night Beat Records

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Rosco Gordon with Sam Phillips

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Rosco Gordon
♪ナイトビートレコード♪
posted by DJ JAMES at 19:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | YouTubeでレコード紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする | Twitterでつぶやく
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